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道義、道徳を取り戻す教育を 2006年7月

 耐震偽装やエレベーターの問題、子どもが親を殺し、子が親を殺す・・・。「一番大切なものはお金」と公言してはばからない人たち。今の日本、どこかギスギスしていて、経済的には繁栄しているはずなのに、何かが足りない。そんな思いを抱いているのは、私だけでしょうか。

 教育、特に道徳を中心とした幼児教育の重要性を考えずにはいられません。

 はるか昔、臨済寺の名僧・雪斎は、生徒であった竹千代(後の徳川家康)にこう問うたと言われています。「兵、食、信」のうちでまず捨てるものは何か、と。竹千代は「兵」と答えました。そして「次は」と問われ、「信」と答えた家康に、雪斎はこう説いたといわれています。

 「竹千代に付けられている2人の家臣は、たとえ食べ物が1つしかなくても、竹千代が手をつけるまで、決して食べない。それは、竹千代が決して1人ですべてを食べてしまう人ではないことを信じているからだ。そして竹千代もその信に答えている。信によって、1つの食で3人が生かされているのだ」と。

 この信こそ、現代の日本人が取り戻さなければならない「道義、道徳」ではないでしょうか。「自分さえ良ければ」から、当たり前のように他人のことを思いやる社会にしていかねばなりません。

 「なぜ、人を殺してはいけないのか」と問う子どもがいてはいけないのです。そんなものは答えるまでもなく、「だめなのが当たり前」のことでなくてはいけない。その上で、親や目上を敬い、友人を大切にする。謙虚さを持ち合わせて、人生を生きていく。それが大切だと思います。

 耐震偽装やエレベーターの問題も、「みつからなければいいや」「もうかればいいや」ではなく、「もし手を抜けば、迷惑する人がいる」「どこかで、だれかがきっと見ている」という気持ちさえあれば、決してこんなことは起こらなかったはずです。

 「人が見ている、見ていない」「お金になる、ならない」だけが、物事の判断基準であってはならないのです。「自分の心に聞いてみる」という言葉を、みんなが謙虚に思い起こせば、きっとギスギスした社会ではなくなるはずです。

 痛ましい殺人事件の数々も、当たり前の道徳とマナーさえ身に付けていれば、なかったかもしれません。戦後60年、壊されてしまった道義や道徳を、もう一度取り戻したいと考えています。

 法律でがんじがらめにしてしまうのは、比較的容易です。現に今国会で建築基準法は改正され、厳罰化が図られました。しかし、本当は法律で縛ってしまうのではなく、道義と道徳に立脚した精神文化を持つのが、日本の良いところであり、日本はそういう国であるべきではないでしょうか。

 都市部と地方の対立もそうです。都市部の人は良く、「都市部の我々が納めた税金で、地方にいらない道路ばかり作っている」と言います。これはある意味、真実です。

 地方の人たちは、「原発や産廃処理場など、都市部住民の生活のツケをなぜ我々が受け入れなければならないのだ」と言います。これもある意味、真実です。しかし、本当にこうした対立で良いのでしょうか。

 都市部には都市部の役割、良さ、足りないものがあります。地方にも地方の役割、良さ、足りないものがあります。これを今のマスコミを煽っているように、いたずらに対立の構図にするのではなく、お互いに一歩譲り合い、自分の足りないものを補ってもらうという考え方がどうしてできないのでしょう。

 こうした道徳や道義は、戦前の日本にはありました。戦後60年かけて、徐々に壊されてきたものです。ですから、取り戻すのに60年かかるかもしれませんが、今、道徳を取り戻すためのスタートを切らなければなりません。

 今、道徳の授業がない小学校や中学校があります。まず、小学校や中学校で、道徳教育をきちんとやっていくようにしなければなりません。そのためには教育の根本である教育基本法の中で、道徳教育をきちんと位置づけ、例えどんな思想、信条の先生が担任になったとしても、道徳教育を受けることができる機械をすべての子どもたちに確保する必要があります。

 また、3歳から5歳までの幼稚園、保育園の時期に、基本的な道徳の考え方(友達は大切にする ものを壊してはいけない くつを揃えるなど社会の根本的なマナー 両親や先生への感謝・・など)を教える必要があると考えます。日本の幼稚園や保育園がこれまで発展してきた経緯を大切にしながら、ぜひ幼児教育の重要性を広め、全ての子どもたちに道徳教育の機会を提供すべきだと考えます。



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